Reading Myself

前回の続きになります。しかも、長いです(笑)

私は10代前半から日記代わりに膨大な分析ノートをつける習慣がありました。
何故そういう習慣がついたのか?
思い当たることは、ただ一つ。

私は小学2年生までは普通の明るい少女だったのですが、小学3年生のある日の出来事を境に、
完全に学校内で自主的に『緘黙(かんもく)』するようになったんです。
声を出さなくなったんです。それも小学校を卒業するまで。
いわゆる、場面緘黙児です。

その原因はイジメでも何でもありませんでした。

ある日の給食の時間、牛乳の蓋を開ける時に間違えて少しこぼしてしまった私は、
「あ~ぁ、こぼしちゃった~。」と言いながら蓋を拾ったんです。
すると隣の席の女の子が一言。
「あはは、ヘンな声~(笑)」と、私の声が面白いと指摘したんです。
確かに幼少時代の私は声のキーが高めで、ややアニメ声でした。。(笑)

そう指摘された瞬間、私は目の前がフリーズし、生まれて初めて自分という個性を意識しました。

『自分の声は、人からはヘンに聴こえるんだ。』
その日から、私は学校で声を発することを拒んだんです。
(自分で言うのもヘンですが)活発で成績も上の方。友達も多く明るい性格でした。
でも、プライドが高く負けず嫌いだったのに加えて、かなり自意識過剰だったのでしょうね。
ヘンな声だと思われているなら人に聞かれたくない。
強い劣等感とプライドが完全衝突して強いガードが生じたんです。

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場面緘黙児は、緘黙することで適応しようとすると言われています。
当然、友達はみな私の緘黙を不思議がって、どうしたのかワケを知りたがる。
でも私は、羞恥心とやり場の無い「強い憤り」で声を出すことを拒否している。
自分でも不思議なのは、緘黙時代の四年間、学校を一歩出れば普通に喋っていたんです。
ただ、学校で友達と会話する時は筆談にしていました。物凄く面倒に感じながらも。

担任も私の変化に気付き、家庭との話し合いがあったようです。
後日知ったのは、IQの確認まであったとのこと。
(緘黙児にはIQが低いケースもあるそうです)
ただし教育関係者だった母は私のIQを把握していたため、低くないことは承知済みでした。

しかし、その話題のお陰で私は後に自分のIQを無理やり母から聞き出したのです。
そしてそこから、人の『IQ』が何を表しているのか(或いは表さないのか)強い関心を持ち始め、それが人格やメンタルや心理の働きに関わるのかなど、知能と心理と精神の世界に
後々どっぷりハマるキッカケになったのです。
IQにはベルカーブ型の平均分布があります。高すぎても異常数値と見なし、私の数値はそのボーダーラインでした。(母は守秘義務があるとは言え、IQを知った私が勘違いするのを怖れていたようです)

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とにもかくにも、私が緘黙を続けたのは小学校まで。
元通り普通に喋るキッカケが欲しかった私は、仲の良い友人と離れて環境を変える(私立中学へ進学する)ことでストレスなく喋る自分に戻る決意をしました。
このプロセスには親は一切関与せず、自分で全て解決策を考えていました。

仕事柄出張や残業が多かった母は、私の緘黙問題に殆ど干渉しませんでした。
もしかすると、緘黙の対処を踏まえていたのかも知れません。
いずれにしろ、それがかえって私の自立を促していました。

今振り返っても、幼少時代の自分は大人顔負けに冷静で聡明だった気がするほど、自主的緘黙という態度を取りつつ、客観的で理路整然、毅然とした不思議な子供でした。しかも物凄く負けず嫌いだったため、腕白な男子を逆に腕力で泣かせたり、とても緘黙児の女の子とは思えない、同情するのも勿体ないような勝気な子でした。

ただ、いずれにしろコミュニケーションに強烈なブロックが起きていたのは明白で、それが『書く』ことに駆り立て、そこから考えを文章化する習慣がついたのだと思います。

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私は当時から、『考えを文章化する行為=自分を確認する行為』になっていて、自分を客観視すると同時にあらゆる関係者に対しても客観的分析をするのが習慣になっていました。
殆どの事柄の解決の糸口がそこで見つかると気付いていたからです。

ただ、緘黙を解いた多感な中学以降は、恋愛・友人関係・家族について頭の中を文章化し、更に深い部分が見えて来ることで、書く・本を調べる・それに基き更に書く…をひたすら繰り返していました。

それが、私の Reading Myself の経緯です。

おそらく私のケースは極端で、普通とは言えないかも知れません。
ただ言えることは、『 人は逆境でこそ成長できる 』と自分の体験をもって断言できます。
私自身、緘黙を苦にして不登校になるということもなく、むしろサッサと大人になって、特に海外へ出ることを夢見ていたほど前向きでした(笑)

それにしても、緘黙することで自分を守っていた子供が、まさか大人になってから人の心をリーディングする職業に就くようになるとは、どこかで繋がっているような。
人生はどこで何が生きるか分かりません。

だからというわけではありませんが、私自身のこれらの経験があるためか、心的ブロックを抱えた方の為のリーディングとブロック解消のセラピーは得意です。

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そんな私も人の親になったわけですが、自分の体験を振り返っても、子供は大人が計り知れないほどの潜在力・自浄力を持っていて、それを摘まないようにすることが大人の重要な務めだと思っています。
と、言いつつ簡単に摘みそうなエゴと日々闘っています(笑)

とにもかくにも。。。
私が占い好きから発生したタロットリーダーではないことだけは、これを読むと判明するのではないかと思われます。いや、別に占い好きでもイイんですよ。面白いですから占いも。

タロットカードをリーディングする行為は、タロットの知識を学術的に習得する以上に、人の心理を「現実」と照らし合わせて「理解・洞察する」ことが大きな鍵になります。
おそらく私自身も緘黙時代を機に更に感受性や想像力が増し、無意識の内に今の仕事の土台になっていたのかも知れません。


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2 Comments

なむさん(あさの)  

No title

なんか、ユングとかフロイトみたいですね。ある意味、タロットも人の奥深くまで入っていけるものなんですね。
占いというより心理学ですね。
今の自分と照らし合わせるみたいな。

2013/12/22 (Sun) 07:50 | EDIT | REPLY |   

峰レア  

No title

なむさんさん
こんにちは。コメントありがとうございます。
私の場合は特に、タロットは潜在的なものを読み取らせるものという感覚かも知れませんね。
でも人それぞれのタロットがあって良いと思います。
扱う人の個性が表れるのもタロットなので。

2013/12/24 (Tue) 08:26 | EDIT | REPLY |   

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