解放する愛



一度付き合った二人の間に、友情が残ることがあります。
それは、そもそも両者の間にプラトニックな想いが強かったことの証。
プラトニックな想い(精神的な愛)ほど、時空を越えるものはありません。

傍にいても離れていても、相手の幸せを祈れる気持ち。
それは、自分の幸せは自分で築くという「自立心」があってこそ芽生えるもの。

反対に、自分の存在が必要かどうかの答えを相手に託すほど、愛の苦悩は深まるばかり。
自分の本当の気持ち以前に相手の本当の気持ちを知りたいのは、相手を無意識のうちにコントロールしたいという欲求が潜んでいるからです。


相手をコントロールしたいという思いは、人間の古くからの営みの名残なので半ば仕方ないこと。
でも、そこを突破させるのが精神的な愛であり、魂の成長そのもの。。

それは頭で考えて行えるほど容易いことではなく、通常は静かにもがき苦しみながら少しずつ辿り着ける領域。(そのプロセスを介助するのが宗教や思想の中の「智慧」です)

人が今世でぶつかる宿命(宿業)の殆ど多くは、この『自立した精神的愛』と『現実の欲求』の狭間で起きるケースが圧倒的です。
それほど、マインドは混乱と矛盾を含みやすく、愛の在り方を見失わせやすいもの。

恐ろしいのは、こんなことは経験しなくても頭で理解しているという人でも、現実に直面するといとも簡単に見失いやすいということ。。
それほど、魂と肉体とマインドは、水と油のように分離・相反しやすい存在です。
そして聡明な人ほど、そこの矛盾に葛藤を覚えやすく、自分の在り方を探したい思いに駆られます。
それは、魂にマインドと肉体も調和させる、人としての究極の成長を促されている証拠。

いわゆるアセンショのプロセスというのは、まだ魂に『成長する役割が残されている』ということ。
決して頭デッカチでなせるものでもなく、それこそ三位一体でこそ叶えられる壮大なチャレンジ。

マインドを解放するには、自分を守っていた心の鎧を体当たりで脱ぎ捨てて行くのも一つの方法。
それは肉体があるから出来る荒技であり、究極の学びに繋がるチャレンジかも知れません。
Related Entries
  • COMMENT:0
  • TRACKBACK:0

0 Comments

Post a comment