思わせられていること



人生は、間違いに気付くための旅なんじゃないかと思える。
『正しいと思わせられていること』の構造やその間違い(愚かさ)に気がつくと、心の歪みや根詰まりがスルスルと解けて、真の自由を得る。

世間の物差しを窺いながら生きていると、次第に自分本来の魅力は萎んで、無難な生き方を選びやすくなる。

ただ、魂はそれが愚かなことを悟っているから、自分の考えや判断に迷いや疑いを持つようになる。
その時が、魂を檻から解放するチャンス。

『思わせられていること』に気付くプロセスは、例えば「今日は寒いから厚手の服を着なさい」と言われて〈寒いと感じる前に〉服を着込むのに似ている。
または、『私、あの人が苦手。』という言動を判断基準にしたりするのにも似ている。。

自分の身体にとって暑いか寒いか丁度良いかを自分自身で正しく感知するためには、寒暖を体感出来なければ、その按配すら図れない。

自分はどう感じるか…の感覚を無理に人に推し量る必要はありません。
むしろ、様々な変化に満ちていて一定ではない人間の〈生の多様性〉の中に、ユニークな刺激を見出すことの方が、人生はより一層楽しさを増すはずです。
それを自由に選べるのも他ならない〈自分〉。
そのことを大いに喜びたい…
そんなことを感じる今日この頃です。



Related Entries
  • COMMENT:0
  • TRACKBACK:0

0 Comments

Post a comment