吉野水分神社の屋根葺替事情

吉野水分神社 本殿
前回、吉野水分神社について書きましたが、その際 改めて心に引っ掛かる話を耳にしました。
築年数による老朽化を免れない社の、管理維持に伴う現実・・・。
気にかかっていた実情を知り、居たたまれない気持ちになりました。

現存する本殿(写真)は安土桃山時代の建築。子宝を祈念した豊臣秀吉が秀頼を授かり、その秀頼が水分神社の本殿を再建したとされます。
実に約400年前、慶長10年(1605年)に再建されたのが、現存する吉野水分神社というわけです! その社殿を守る為の管理には、並々ならない苦労があったと思います・・・。

吉野水分神社の最も古い記録は、698年編纂の『続日本紀』。
元々は吉野山の最も奥深くにある 二つの川の源流付近に祀られていたとされる 水の神様。
世人から、「命の源~水~子授けの神」として崇拝されてきた古代日本のアニミズムの息吹きを、今も吉野山に残している貴重な神社です。
※子授けに纏わる逸話では、特に本居宣長の話が有名。

実際、吉野山をロープウェイで登った先にあるほど奥深い環境条件だけに、一般参拝客の数は、交通の便に恵まれた他の神社などとは 比較できないかも知れません・・・。
しかし、どんな環境であれ、長い歴史を生き抜いてきた建造物を守る懸命の努力はなされます。しかも その姿勢は謙虚なまでに厳かで、外から窺い知ることは出来ません。
※神社によっては一口何万以上と 費用の寄付額を設定している所もあるのですが、水分神社にはその様な指定はありません・・・・。

現実問題__ 現在の水分神社は「檜皮葺き」の屋根の傷みが著しく、四十年前に葺替をされて以来、すぐにでも葺替を迫られている現状のようです。
皮肉なことに、国の重要文化財に指定されている社殿であるにも関わらず、国からの補助金の規定はなかなか難しいらしく、神社側は 維持に伴う莫大な費用に苦心されているのが実情のようなのです・・・。

古来の姿を残した神社ほど、その格式に関わらず(しかも決して商業主義に走らずに)、古人が見てきた自然の神々を、純粋に守り抜いていこうとします。
本来、目には見えないスピリッツ(神)を祀る社が、形としての社=建造物を維持することに苦心しなければならないというジレンマ・・・。
私自身、不思議なご縁を経て吉野水分神社に辿り着いただけに、これらの実情を知り とても深く考えさせられ、今回(僅かばかりですが)寄進を申し出ました。
因みに吉野水分神社の屋根葺替への寄進は郵便局から可能だそうです。
※パンフレット(下写真)も郵送下さるそうです。

小さな神社は、お社の傍に社務所(宮司宅)がある形態が多いのですが、実は吉野水分神社もそうなのです。宮司を継がれているご一家が守っており、現在の宮司様は女性です・・・。

最初の写真は水分神社の本殿。
2005年夏、友人に代参して頂いた際に撮影してもらったスナップです。

【吉野水分神社 社務所】
〒639-3115 奈良県吉野郡吉野町吉野山子守宮
吉野水分神社のパンフレット
パンフレット本文
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2 Comments

Rさん  

No title

対照的とも思われる二つの写真が物語る現実。。深く感じる所があり言葉にしにくいのですが、私も何かしらお役に立ちたいと思いました。レアさんありがとうございました。

2007/11/30 (Fri) 00:32 | EDIT | REPLY |   

峰レア  

No title

Rさん、コメントありがとうございます。

日頃、身近に在って当たり前に感じる神社も、現実には神社側の相当な尽力があるからこそ、今日の姿がある・・ということを、本当に感じさせられます。
普段の私は、ここまで生々しく書いたりしないんですが、今回ばかりは書かずにいられませんでした。

特に今回は、単に 貴重な文化財を守りたいという気持ちよりも、
“日本のアニミズムの象徴”のような吉野水分神社の「声」が、虚空に木霊するようなことには絶対にさせたくない・・という想いで書きました。

パンフレットに、『このままでは風化の途を辿るばかり・・・』と、
神社側に書かせてしまう国の制度も如何なものかと思ってしまいます・・・。

2007/11/30 (Fri) 09:05 | EDIT | REPLY |   

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