幕末の子孫

今日は定休ということもありますが、朝から幕末ネタの憤怒ニュースに触れて血の気多く、何かにつけ幕末とオーバーラップする想い出が頭をよぎる一日でした。

なにしろ私は、幼少の頃から会津若松に行く機会が多く、会津武家屋敷にある赤毛の侍(土佐藩士)の等身大の人形に対する畏怖は、その象徴(原体験)のようなものでした。
新撰組の生き残りが、幕府軍と共に会津で戦った歴史を知るのが中学生頃なわけですが、実は、親しかった中高時代の同級生が、新撰組隊士の子孫だったこともあり、幕末という時代が遠い昔のことにはとても思えなかったという背景があります。

私の母校(宮城学院)は歴史が古く、母や祖母が通っていたなどの理由から、全国各地から生徒が代々集うような学校で、九州・関西から北海道まで様々な地域の出身者が在籍しており、その中に新撰組隊士の子孫である友人も入っていました。

中学の頃、彼女の口から、「実家(関東)の仏壇には、沖田総司の位牌も安置してあるんだ・・」と聞いた時には正直実感が湧きませんでしたが、今になって思えば なるほど、そうだったのか・・・と、極めて感慨深いものがあります。彼女は新撰組の上位組長の子孫なのです。
中高時代も卒業後も、彼女は不思議と私を慕ってくれていたところがあり、今思えば、「子孫」という事実を打ち明けてくれた彼女の身の上や心情を想うと、とても遣る瀬無い想いが込み上げてきます。何故なら、歴史には諸説(虚構)が付きもので、真実が正しく伝えられていない事が多々あるので・・・。(「真実」を守る為に、虚構が"定説"とされているのか・・・或いは、「真実が一つとは限らない」か・・・何れかの理由で。)

私の世代は、戊辰戦争終結からジャスト百年後に生まれた世代。
たったの百年です。
歴史は明らかに実在しており、連綿と受け継がれています。
だから余計に、かつて命がけで動乱の時代を駆けていた勇士達が、どれほどの想いで子孫を残していったか、その想いが壮絶極まりなかったであろうことは痛いほど解ります・・・。
幕末で言うなら、"官軍"だろうと"賊軍"だろうと、子孫への想いは同じだったはず。
だから私は、歴史を認識することに対しては常に平等でありたいと願って止まないのです。
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