おにたのぼうし



昨日は節分。今日は立春。

春を迎える前に、節分の豆まきで追払われる「鬼」という観念について想うこと…。

これは、1969年初版の絵本「おにたのぼうし」です。

岩崎ちひろの絵と、あまんきみこによる叙情的な物語で綴られるこの絵本は、日本人の魂にある「オニ」と「カミ」の観念を伝って、とても深い何かを投げ掛けてきます。



節分の豆まきから必死に逃れようとする心優しい黒鬼の「おにた」。

やっとの思いで辿り着いた貧しい家では、身を挺して病気の母親を看病する少女がおり、「おにた」は「角を隠す帽子」をかぶって、節分のご馳走を少女に食べさせてあげます。

ところが、「おにた」の正体を知るはずも無い少女は、母親の回復を願う想いから 厄祓いに豆まきをしたいと言ってしまいます…。

居たたまれずに、「オニにも色々あるのに…」と伝えて、黒豆の姿に返る「おにた」。



この物語からは、「形(観念)に捉われ 縛られてしまう人間達」へ非常に深い警鐘が感じられます。

まず、古代日本から連綿と続く精神史の象徴「オニ」を理解するには、日本人の宗教的背景を知る必要があるかも知れません。

古代の日本に於いて、「カミ」は おにたのように「自然の精」や「異形」そのものであったはずが、外来宗教や国家的宗教によって排除され、或いは徐々に姿を変えられ、または追いやられてしまった存在が、「オニ」という概念の正体だと私は考えています。



異界の力(オニ)を「悪(祟るカミ)」、その対極にある「カミ」を平和・幸運の象徴として、二元論で捉えさせられてしまった日本の精神史。

追いやられた「Original Spirit(オニ)」は行き場を失い、角(個性)を隠そうとしてしまっているのを、この絵本は痛切に感じさせます。

当たり前の観念を盲従し、本来の姿・個性・真実を見つめようとしないのが今日の実情なのかも知れません。

それは、社会や集団の常識・固定観念に無意識に右倣えする日常性から、自分だけの感性や自立性を養う勇気やキッカケが、如何に重要かを示している気がします。



常日頃から、「追いやられたSpirits」を日本に感じる私ならではの 琴線に触れる一冊です。




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