桜の視線



長いGWも今日が最終日。数日前またまた塩竈神社へ行ってきました。

娘が「馬が見たい」とうるさいので…。

駐車場は、名古屋・長野・横浜ほか全国からの参拝客の車が止まっていました。

写真のように神社敷地内の桜も散り始めていましたが、その自然な姿に心落ち着きました。



私が恐らく生涯忘れられない桜景色は、GW時に見た弘前城の夜桜です。

21歳当時、魔女の家の弘前店へ出張した際に、弘前へ到着したその日に桜が開花したのでした。

咲きそうだという地元のニュースを信じて、夜の弘前城へ行った時には、信じられないほどの満開。

しかも貸切と思えるほど、花見客は殆どいませんでした。



城を囲むように咲き群れて、身じろぎもしない桜たちは、まるでジッと息を潜めて獲物を狙う生き物のようでもあり、自分が見ているのではなく、見られているような緊迫感すら感じたほどです。

月光に照らされて白く浮かび上がる夜桜に囲まれて、初めて「桜の視線」の感覚を味わいました。



あの日の弘前城の夜桜の、有り得ないほどの美しさとエネルギーは、日本に古くから語り継がれる魔力と紙一重の空間でもありました。

坂口安吾など、文人が桜を題材に書いた小説がありますが、月光に照らされた満開の桜は、ある意味 この世のものではありません。

人間に集合意識があるように、桜にも過去から連綿と続く桜の集合体のような「気(精)」が満ち満ちており、それが満開となった時、途轍もないエネルギーを発するようでした。

桜の精が語りかけてきそうな怖さは、言葉では表せません。

だから、散り掛かった自然な姿の桜を見ると、私は安心するのです。

私が大人になってから率直に自然への畏敬を感じたのは、あの満開の桜の視線に晒された夜が最初だったかも知れません。

故に、日本の国花が桜というのも、非常に深いものを感じます。



山桜をはじめ、木々の寿命は人間など及ばないほど長いことを考えると、この世の主役が人間だと考えている人間という生き物の小ささを感じます。

遥か昔から、この大地に宿る木々の精魂と、その純性に、私は恐ろしいまでに深い知性を感じてたまらないのです。

その意識が、日本の精神史にあるアニミズムの始まりのような気がしています。


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ゲスト様  

No title

AUTHOR:rumikoEMAIL:URL:IP:218.222.1.154DATE:05/10/2006 02:42:54満開の桜with月光。。異空間!幻想的。納得です。なんだか長居できないですよね(変な意味でわなく)。お花見とゆう一般行事を好んでしようとしない、むしろ遠ーくから見守りたいと例年思ってしまうので、腹の底の方で低い声で頷きながら拝見してしまいました。しかも国花だったとは(-_-;)知りませんでした。。ハハ~ッm(_ _)m恐れいりました(笑)

1999/11/30 (Tue) 00:00 | EDIT | REPLY |   

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