心のリサイクル

個人的に、自分の中で面白いシフトが起こっている感じがあると、気づくたびにメモしています。
最近だと、ココロの奥に巣食っていた古い細胞が、ようやく代謝する感覚。
でもそれは、心理的なリサイクル(再生)のような感じです。

否定的な答えは「要らない」のではなく、リサイクル価値を見出せばイイということ。

人間は生の感情を持った生き物だから、些細なことで考え方がシフトしたり、
色んな風に紆余曲折することは往々にしてありますよね。

その思考の反覆は、何らかの 「 執着 」 や 「 依存 」、「 疑念 」 から発生するわけですが、
とかく人間は、執着心や依存心に支配されやすい存在です。
それは、生きていく上で 「 愛 」 を必要とする以上、仕方のないこと。

物事を肯定したり否定したり、反芻に忙しい人は、世の中に沢山います。

 自分の求めたい答えが、そこには無い・・・と気づいても、容易に立ち去れない。
 他の付加価値があることを願い、そのチャンスに期待を寄せる。
 現実と理想の狭間に置かれ、不確定なことではなく、「確かな答え」を求めたい。

確かな答え。

物事を考察する上で、何が正しいとか、間違ってるとか、
何を基点にしてそう思うのか・・・、
何層もの側面を持つ事象に対する、深部での問いかけを持っていると、
それに対するおおよその答えの輪郭が見えて来ることがあります。

つまり・・・、表だと思って見ていた側面が実は裏だったり(もしくはその逆だったり)、
表でも裏でもなく、縦に割った 「 断層 」 を答えとして見つめれば、
表も裏も正しい(当てはまっている)・・・ということです。

単純に言うと、白か黒かつかない答えを「グレー」として見た場合、
そのグレーは実は単色ではなく、黒から白への「グラデーション」を持つグレーだったという感じ。

これは、近づきすぎて見ていれば、決して気づけないトーンであって、
ある程度の距離を置いて見れば、『な~んだ、グラデーションだったんだ。』という
なんてことない事実を、とても新鮮に感じる現象なわけですが。。。

人生に於いて、固執しているテーマに対する答えを求め、それが求道に近い場合、
その答えは、実にシンプルで、極めて現実的なものかも知れないし、
同時に、とてもスピリチュアルで、深遠なものかも知れない。
そのどちらも、決して間違ってはいない。

強制的にでも、どっちかの答えを選んで、どっちかを処分する考え方をしたい人は、世の中に多いかも知れませんが(その方がラクだから)、でも、それは不自然。
人のココロは、もっと繊細で複雑です。

自然に見えてくる答え、「 これで良かったんだ 」 という納得に至るまで、
何年何十年も掛かろうとも、そこまでの一歩一歩を無駄にせず、
自分に負けて短絡的に否定したりせず、着実に歩んでいく覚悟があれば、
その人はいつか必ず、納得できる道を歩めているはずです。

自分の一歩一歩を信じて、歩み続ける過程で見えてくる様々なことを、
一時の大義名分の元に分別処分したりせず、もっと気長にリサイクルすればいい、と思います。
混沌と共にありながら、しなやかに、大らかに見る目〈 愛 〉を養うことが、大切。。。
そう思います。

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2 Comments

とんちゃん  

No title

初めて書き込みします。
私は、白か黒はっきりさせることで、過去を忘れるようにしてきました。ただ、最近はそれだけでは??と疑問に感じることも。。

今回レアさまのブログを読んで、「グレーもありなんだ。グレーって悪いことじゃないんだ」って思えました。

2009/10/24 (Sat) 23:55 | EDIT | REPLY |   

峰レア  

No title

>とんちゃんさん、はじめまして☆
コメントありがとうございます。
グレーも有り、グレーな部分も受け留める・・・という感覚は、心の成長のように感じています。
誰もが経験する「グレーな部分を理解したくない・・」という感覚は、何らかの執着やエゴから来るものなのかも知れないですね。

またお立ち寄りくださいね☆

2009/11/01 (Sun) 20:15 | EDIT | REPLY |   

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